服部幸應が調理師免許無しだった理由は?料理の鉄人で審査員になれたワケとは

料理研究家やタレントとして多くのメディアで活躍されていた服部幸應さんが2024年10月4日逝去されました。

特に料理の鉄人の審査員というイメージが強かった服部さんですが、実は調理師免許を持っていなかったと話題になっています。

この記事では「服部幸應が調理師免許無しだった理由は?料理の鉄人で審査員になれたワケとは」について紹介して行きます。

目次

服部幸應が調理師免許無しだった理由

服部幸應さんといえば、フジテレビ系列「料理の鉄人」やテレビ朝日系列「愛のエプロン」でもおなじみの料理評論家でした。

登場した当初は、「1885年に日本で初めてカレーを紹介した『服部流割烹』17代目家元の孫」と自称していましたが

実は真っ赤な嘘で、「服部幸應」という名前も芸名であることを暴露していました。

そんな服部さんですが、実は調理師免許を持っていないのではないか?という噂があります。

結論から申し上げるとこれは事実で、その他料理関係の免許(ふぐ調理・栄養士・調理技能士など)を一切持っていません。

これはご本人が公表されています。

全国調理師養成施設協会の会長など、役職も多数歴任し。20年、旭日小綬章。自身は調理師免許は所持していないことを公表している。

引用元:日刊スポーツ

では、いったいなぜそんな服部さんが「料理の鉄人」で審査員になれたのでしょうか。

理由について考察していきます。

服部幸應 料理の鉄人で審査員になれたワケ

服部さんは、前掲したように出自を詐称していた過去があるので、ここで一度服部さんのプロフィールを見ていきます。

・名前:服部幸應(はっとり ゆきお)
・本名:染谷幸彦(そめや ゆきひこ)
・生年月日:1945年12月16日(78歳没)
・出身地:東京都豊島区
・職業:料理評論家 タレント 教育者
・出身大学:立教大学社会学部

服部さんは1970年に立教大学社会学部産業関係学科を卒業し、社会学者の称号を取得しています。

その後、論文「A study on the relationship between food intake and personality in woman students(女子学生における食品摂取と性格との関連に関する研究」にて博士の学位を取得しています。

経歴こそ詐称していたものの、料理学校「服部学園」を創設し多くの料理人を育成してきました。

そんな服部さんですが、なぜ調理師免許を持っていないのに料理の鉄人で審査員になれたのでしょうか。

最も、料理評論家ないし料理の鉄人に免許の有無は関係ないと言ったらそれまでですが

実際に調理師免許の試験内容の作成に服部さんが携わっていたため取得できなかったという説が有力です。

自身で監修している試験を受けることはできませんよね。

おそらく、学校創設などをしていた際に調理師試験を作成している全国調理師養成施設協会からオファーがあり

タイミングを見失ってしまっただけなのではないかと思います。

確かに、服部さんの料理に対する熱い思いやトークは、多くの視聴者を釘付けにしましたよね。

改めてご冥福をお祈り申し上げます。

服部幸應 訃報に悲しみの声多数

服部さんの突然の訃報には、多くの悲しみの声が上がっています。

ご自身が理事長も務める服部栄養専門学校にて調理中に倒れ、そのままなくなってしまった服部さん。

最後まで料理に携わっていた生きざまがとにかくかっこいいですね。

服部幸應が調理師免許無しだった理由は?料理の鉄人になれたワケとは まとめ

いかがでしたでしょうか。

免許があろうとなかろうと、料理に対して真剣に向き合い多くの人から尊敬されていた事実にはかわりはありません。

ゆっくり休んでいただきたいですね。ご冥福をお祈り申し上げます。

最後までご覧いただきありがとうございました!!

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