自民党総裁選で石破氏への投票をいの一番に表明し「裏切り者」とのレッテルまで貼られてしまった三原じゅん子議員。
なんとこれから組閣される石破内閣では、こども政策担当大臣として入閣する予定もあるようです。
しかし一部では「三原じゅん子は韓国人では?」といった声も上がっているようですがいったいなぜでしょうか。
そこでこの記事では、「三原じゅん子が韓国人説はデマ!出身は板橋で大貧乏のドン底暮らしだった?」について調査していきます。
三原じゅん子が韓国人説はデマ
いきなり結論から申し上げると、三原じゅん子議員が韓国人説はデマです。
なぜ根も葉もないうわさが立ってしまったのかは謎ですが、どうやらメディアによる印象操作があったようです。
今回の総裁選では、小泉進次郎氏の推薦人として名を挙げていた三原議員ですが、決選投票になるや否や石破氏にすり寄った姿が目立ちました。
正直、印象悪いよなあ
なりふり構わずってかんじだにゃ
結果、「裏切り者」ともいわれてしまい、こういった寝返りが早い姿が韓国人ではないかと言われてしまう原因なのかもしれませんね。
むろん、「韓国人=裏切り者」ではない旨十分に注意が必要です。
三原じゅん子 出身は板橋で大貧乏のドン底暮らしだった
もっとも、三原議員の出身は東京都板橋区で、12歳のころには劇団フジに入団し子役として活躍されていました。
三原議員のプロフィールは下記となっています。
・名前:三原じゅん子(みはら じゅんこ)
・本名:中根順子(なかね じゅんこ)
・生年月日:1964年9月13日(2024年現在:60歳)
・出身地:東京都板橋区
・職業:国会議員 参議院議員 自民党無派閥
・身長:164㎝ 血液型:B型
三原議員は、元女優・歌手、介護施設経営者、レーシングドライバーで現在は自由民主党に所属する参議院議員です。
父親が印刷業者を経営していましたが、三原議員が幼いころに倒産し連日借金取りが取り立てに来ていました。
これは、過去三原議員本人が語っていました。
壮絶な過去だったんだにゃ
幼少期は大貧乏のドン底暮らし
三原氏は2019年にXにて、どん底生活を送っていた過去を明かしています。
こういった背景を赤裸々に語っていることからも、韓国人であるという説はデマであることがわかります。
一方で、たたき上げの人生を送ってきたことも同時にわかりますね。
どんな幼少期だったんだろうな
出身小学校:淑徳小学校
三原議員の出身校は板橋区立淑徳小学校です。
1971年に入学し、翌1972年からは劇団フジへ入団し学業との2足のわらじで活動を開始されました。
このように小学校時代から地元板橋で生活されていたところからも、韓国人であるという説がデマであることがわかります。
なお、在学中の1975年には「強制収容所の少女」で主役を演じるなど、徐々に頭角を現していました。
出身中学校:十文字中学校→志村第一中学校
三原議員の出身中学校は、十文字中学校を中退し板橋区立志村第一中学校です。
最初に入学した十文字中学は芸能活動を許可していなかったため途中で退学し、編入しています。
当時から多忙で、かつ家庭を支えなければならず大変な時期を過ごされていたようです。
金八先生で大ブレイク
そして、三原じゅん子といえばという代名詞でおなじみ、『3年B組金八先生』に山田麗子役で出演します。
この時の印象で、いまだに「ツッパリ」というイメージが残っている方も多いのではないでしょうか。
このヤンキー路線が、もしかしたら韓国人と誤解されるきっかけに寄与している可能性も無きにしも非ずです。
そうそう、三原じゅん子といえばヤンキー。
出身高校:明治大学付属中野高等学校定時制
そして、1980年には明治大学付属中野高等学校の定時制に入学します。
しかし両立が難しくなり中退し、最終学歴となっています。
この後、様々なドラマや音楽番組に多数出演し人気を博していくこととなります。
結論 三原じゅん子は韓国人ではない
このように三原議員の幼少期の経歴を見てきましたが、やはり韓国人であるという説はデマであることがわかります。
ただ、今後仮に入閣した際にどのような魏湾を発揮するのか、注目が集まります。
ぜひ「愛国心」をしっかり持って活躍してもらえることを願っています。
ごまかしがきかないにゃ
三原じゅん子が韓国人説はデマ!出身は板橋で大貧乏のドン底暮らしだった まとめ
いかがでしたでしょうか。
今の若者は、三原じゅん子といえばヤンキーどころか、女優だったということすら知らないようで衝撃です。
いろんな意見があるかと思いますが、ぜひ頑張って日本をよりよくしていただきたいですね。応援しています。
最後までご覧いただきありがとうございました!!
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